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2008年度 第1席受賞 | これまでの受賞者

日刊工業新聞社主催 フレッシャーズ産業論文コンクール
第1席受賞
お客様視点に立つために

ヤマハモーターソリューション株式会社
大茂 洋岳

8年前、私は美しい自然と広大なキャンパスに憧れて北海道の大学に入学した。慣れ親しんだ静岡とは言葉や文化の違いがあり、はじめのうちは雪の中での移動や方言の飛び交う講義などで苦労を経験した。しかしドクターコースまで8年間も生活していると、いつの間にか違和感を感じなくなり、情報システムの研究に没頭できた。私にとって北海道の大学は、落ち着いて勉学に励むのに最適な環境だったと思う。
私はこの恵まれた環境で、学問の世界で求められている言葉による論理的な説明方法を身につけた。授業を補助するティーチング・アシスタントとして学生に理論を説明するときや、学会発表で自分の主張を相手に納得させるための方法だ。具体的には、数式によって裏付けられた理論を説明し、さらに理論の正当性を補強する実験結果を示すことである。
そして私も、言葉による論理性を主張できれば、誰をも納得させられるものと信じてきた。しかし入社して4カ月が経ち、企業の中では許される時間が短く、言葉だけでは機能しない場合があることに気づいた。この大きなきっかけは入社して1カ月後からの工場研修での体験である。

生産現場では製品の品質を確保するように、そしてまた私のような生産現場の素人でも研修初日からラインで組み立てが行えるように、作業の標準化が行われている。部品を組み付ける順番や道具などが手順書に論理的に分かりやすく記載されている。
ところが、この説明を見るだけで作業に取り掛かれるかというと、ベテラン作業員でも難しい。確かな品質と生産性が求められる生産現場において、すぐに作業に取り掛かれないことは問題だ。論理的な説明も必要だが、見てすぐに分かる写真や、同じ体験をしてきた指導員による親身になっての適切な指導があって初めて作業ができるようになるのだ。
言葉に頼ったコミュニケーションのもろさを痛烈に感じた瞬間である。

当社グループのトップは常日頃から、より良い製品をお客様に提供するために「お客様視点」で物事を捉えながら仕事を進めていくことを私たちに求めている。しかし時間などの制約が多い企業で、仕事をしながらお客様視点に立つことは簡単なことではない。
お客様視点に立つためには、理想で言えばお客様と同じ立場で同じ体験をすることだが、スピード感が求められる企業では長期にわたりお客様と共に体験するという機会はほとんど得られない。日常の業務に慣れてしまうと、あるいは忙殺されるようになると、システム開発側の立場でしか物事を考えられなくなってしまう。お客様の立場に立って開発するのではなく、自分たちの都合の良いように解釈して仕事を進めてしまうかもしれない。こうなっては、お客様の信頼を失いかねない。
だが、お客様と同じ体験はできないにしても、少しでも現地へ赴き、私たちの先輩方が開発したシステムを利用して生産されている現物に触れることができるのならば、もっと良いシステムを開発してやろうという気概が生まれる。お客様視点に立ったシステム開発ができる。実は、そのように現地に赴く機会がないにしても、お客様視点に立てないということはない。

入社後、研修中にサッチャー錯視という現象があること、そしてそれはシステム開発側の立場とお客様の立場とに対応できるという心理学的な知見を上司から学んだ。サッチャー錯視とは、人間の目と口を上下逆に貼り付けた写真を倒立させて見たとき、倒立した顔を見慣れない私たちはそれを不自然に感じない現象である。
ここで、倒立した顔を見ているのがシステム開発側、正立した顔を見ているのがお客様と考える。お客様から見ると明らかに不自然なシステムが、システム開発側から見ると違和感を感じない場合があるのだ。
倒立した顔を回転させると徐々に違和感が現れるし、倒立した顔を見慣れた者なら、回転させずとも違和感に気づく。顔の一部でも違和感を感じるという、ちょっとしたことに気づくだけでも、ぜんぜん違う。お客様と共に体験することは難しくても、視点を変えることは難しくはないはずだ。

いかにしてお客様視点で物事を捉えていくのか、今はまだそれを実現するベストな方法は見つかっていないが、日ごろからシステム開発者の常識を疑うことから始めたい。大学で学んだ言葉による論理性と、今まさに体験している体感による納得性、この二つは車の両輪のように片方が欠けると前に進まない。スピード感の求められる社会に遅れず、牽引する力のある積極的な社会人に私はなりたい。

(注)参考文献
Peter Thompson, "Margaret Thatcher: a new illusion," Perception, vol.9, pp.483-484, 1980.



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